災害

【最新版】被害規模が大きい自然災害9選(平成以降)

この記事では、平成以降に発生した自然災害のうち、人的被害(死亡者・行方不明者数)の大きい災害、9つを紹介します。

最近27年間で、1993(平成5年)~2019年(令和元年)の27年間のデータを参考にしています。

それでは、みていきましょう。

地震・津波による被害

【死亡者・行方不明者数29,308名】

※1993年(平成5年)以降の地震・津波による死者・行方不明者数の合計

被害が最も大きい自然災害は、地震・津波によるものです。

地震・津波の被害が毎年起こるわけではありません。しかし、ひとたび、大きな地震・津波が起こるとその被害は甚大です。

内閣府令和2年度防災白書|附属資料7より引用

1993年(平成5年)以降、人的被害が甚大だった主な自然災害をみていきましょう。

【第1位】東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

2011年(平成23年)3月

死亡者・行方不明者数 18,485名 負傷者数 43,700名以上 

住宅全半壊 約27万棟 総被害額16~25兆円(原子力災害、風評被害は含まず)

マグニチュード9.0という我が国の観測史上最大の地震であり、世界でも1900年以降4番目の巨大地震でした。

広範囲に揺れが観測され、日本各地で大きな津波が発生したのに加えて、原子力発電施設の事故が重なるという、未曽有の複合的な大災害となりました。

東日本大震災では、死者・行方不明者は12都道県でみられ、極めて深刻な被害をもたらしました。死亡者の死因は、津波による溺死が90%以上を占めました。

住家についても、全壊は9都県で発生し、その数約13万棟、半壊は12都道県で発生し、その数約27万棟(平成25年5月10日警察庁発表)となる大きな被害が生じました。

東日本大震災では、明治以降では大正12年(1923年)の関東大震災(死者・行方不明者:約10万5,000人)、明治29年(1896年)の明治三陸地震(同:約2万2,000人)に次ぐ極めて深刻な被害をもたらしました。

参考内閣府平成25年度版 防災白書 第1章東日本大震災の復旧と復興に向けた取り組みより

【第2位】阪神・淡路大震災

1995年(平成7年)1月

死亡者・行方不明者数 6,437名 負傷者数 43,792名 

住宅全半壊 約24.9万棟 総被害額9.6兆円(直接被害額)

平成7年1月17日午前5時46分、淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の、これまで耐震設計基準にも直接的には考慮されていなかった、直下型の強烈な地震が大都市を襲いました。

阪神・淡路大震災は、我が国において、高齢化が進むとともに、社会経済的な諸機能が高度に集積する都市を直撃した初めての地震でした。

死者・行方不明者6,436名(いわゆる関連死912名を含む)、負傷者4万3,700余名に上る甚大な人的被害をもたらしました。

あまりの被害の大きさ、情報網の寸断、行政機能のマヒ状況の発生などから被害の全容が明らかになるまでには相当の時間が要しました。

発災後6時間経った17日正午の兵庫県警の被害情報によると、死者200名、行方不明331名以上といったものでした。

また、地震発生直後から、火災が同時多発的に285件も発生し、焼損棟数7,483棟、焼床面積83万4,663m2におよび、特に神戸市内において大きな被害を受けました。

住宅については,全壊約10万5千棟、半壊約14万4千棟に及び、倒壊は神戸市長田区から海岸に沿って東側に集中しており、人的被害の発生と地域が一致していました。

参考内閣府平成17年度版防災白書第7章阪神・淡路大震災の10年の総括・検証より

【第3位】熊本地震

2016年(平成28年)4月

死亡者・行方不明者数 273名 負傷者数 2809名 

住宅全半壊 約43,386棟 総被害額3.8兆円

平成28年4月14日21時26分、熊本県熊本地方でマグニチュード6.5の地震が発生し、熊本県益城町で震度7を観測しました。

続く4月16日1時25分にもマグニチュード7.3の地震が発生し、益城町・西原村で震度7が観測されました。

この2回の激しい揺れが短期間に連続して発生したことに加え、熊本地方から阿蘇地方、大分県中部地方にかけて活発な地震活動が連続しました。

益城町・西原村を中心として熊本県から大分県にかけて甚大な被害が発生してしまいました。

関連死も含めて266人が犠牲になったほか、重軽傷者も2700人に及びました。少なくとも県民の1割に相当する18万人強が避難所に逃れました。

2019年4月現在で、住家の約8,300棟が全壊、半壊34,719棟、一部損壊は163,500棟でした。県の推計によると、熊本地震による被害総額は3.8兆円。このうち約2兆円を住宅関係の被害が占めました。

参考内閣府平成29年度版防災白書特集熊本地震を踏まえた防災体制の見直し

【第4位】北海道南西沖地震

1993年(平成5年)7月

死亡者・行方不明者数 226名 負傷者数 250名 

住宅全半壊 290棟 総被害額1323億円以上

北海道南西沖地震の本震は、平成5年7月12日の22時17分頃に発生し、震源地は北海道南西部(北緯42度47分、東経139度12分)、震源の深さは約34kmで、規模はマグニチュード7.8です。

各市町村の最大震度は5とされていますが、被害が最も大きかった奥尻島の奥尻町の震度は、当時、地震計が未設置で、残念ながら計測されていませんでした。

地震の発生に伴って、北海道、東北地方の日本海側では大きな津波が襲来しました。

とくに震源地近くの奥尻島では、高さが最大21m(藻内地区)の津波が、地震発生直後の数分間で襲来したと考えられています。

奥尻町の被害の割合が大きく、青苗地区では、地震・津波とともに火災も発生し、焼失面積約1.9ha、焼失棟数189棟の被害を受けました。

参考北海道企画振興部南西沖地震災害復興対策室『北海道南西沖地震災害復興対策の概要』平成7年5月より

風水害による被害

【死亡者・行方不明者数2005名】

※1993年(平成5年)以降の風水害による死者・行方不明者数の合計

風水害とは、雨や風が原因となる災害で、豪雨(大雨)、洪水、土砂災害、台風、竜巻、高潮などを総称して風水害と呼んでいます。

毎年のように、日本のどこかで被害が発生する自然災害です。いちばん身近な災害といえるでしょう。

内閣府によると平成5年から令和元年まで、風水害による死亡者・行方不明者数は延べ、2005名となっています。

1993年(平成5年)から、とくに大きな被害となった5つを紹介します。

参照 風水害の被害については各年度の消防白書を参考

【第5位】平成30年西日本豪雨

2018年(平成30年)7月

死者224人 行方不明者8人

住家全壊6,758棟 半壊10,878棟 一部破損3,917棟

床上浸水8,567棟

1993年以降(平成5年)で最も被害の大きい風水害です。

南から暖かく湿った空気が、梅雨前線へ大量に流れ込みました。また台風7号も梅雨前線を刺激しました。

6月28日から7月8日までの総降水量は、四国地方で1800ミリ、東海地方で1200ミリを超え、7月の月降水量平年値の2~4倍となる大雨でした。

九州北部、四国、中国、近畿、東海、北海道地方の多くの観測地点で24、48、72時間降水量の値が観測史上第1位となるなど、広い範囲における長時間の記録的な大雨となりました。

各地で河川の氾濫、浸水害、土砂災害等が発生し、広島県、岡山県、愛媛県を中心に死者・行方不明者が多数となりました。

【第6位】平成16年台風23号豪雨

2004年(平成16年)10月

死者・行方不明者98人 負傷者555人(うち重傷者123人)

住宅の全壊909棟 半壊7.776棟 一部破損10,955棟

床上浸水14.323棟

台風本体と、その北側にあった前線活動の活発化により、広い範囲で大雨や暴風となりました。

台風が上陸した10月20日には、関東地方から九州地方にかけての広い範囲で大雨を記録しました。

四国地方や大分県では期間降水量が500mmを超え、兵庫県や京都府で河川の氾濫による浸水害、西日本各地で土砂災害が発生しました。

この台風は中心より西側から北側にかけて強い風が吹き込んだことも特徴的でした。

平成の台風被害では平成23年台風第12号と並んで最多であり、当時の社会に大きな傷を残しました。

また2004年(平成16年)は全国的に豪雨災害に見舞われた年で、台風が10個も上陸する事態となりました(史上最多)。

7月新潟豪雨(死者16人、負傷者83人)、7月福井豪雨(死者・行方不明5人、床上・床下浸水約1万4000棟)の被害が顕著でした。

【第7位】平成23年台風12号豪雨

2011年(平成23年)9月

死者・行方不明者98人 負傷者113人 

住宅の全壊380棟 半壊3,159棟 一部破損466棟

床上浸水5,499棟

これは平成の台風被害としては、平成16年台風第23号と並び最悪のものでした。

台風が大型でスピードが遅く、長時間にわたって広い範囲で記録的大雨となりました。

その影響で、特に和歌山県、奈良県、三重県で土砂災害、河川の氾濫などの被害が甚大でした。

台風の中心から東側に位置した紀伊半島では、総降水量が広い範囲で1,000mmを超えました。

8月30日17時から9月5日24 時までの総降水量は、紀伊半島を中心に広い範囲で 1000ミリを超え、奈良県上北山村上北山での総降水量が 1814.5 ミリとなるなど、多いところでは年降水量平年値の6割になりました。

【第8位】1993年九州南部豪雨

1993年(平成5年)8月

死者・行方不明者93人 負傷者219人

住宅の全壊525棟 半壊425棟 一部破損593棟

床上浸水16,496棟

鹿児島での被害が顕著であったことから、姶良郡を中心に発生した集中豪雨を8.1水害、鹿児島市を中心に発生した集中豪雨を8.6水害とも呼んでいます。

鹿児島県では死者・行方不明者49人、負傷者64 人、住宅の全壊298棟、半壊193棟、一部破損588棟、床上浸水9,378、床下浸水約2,745棟に上りました。

九州南部付近に停滞していた前線が、低気圧の通過や台風の接近に伴い活発となり、全国で大雨被害になりました。

特に、九州南部で激しい雨が降り、6日の日降水量は薩摩川内市で369mm、鹿児島市で259mmに達しました。鹿児島県を中心に土砂崩れなどが発生したほか、鹿児島市内を流れる河川が相次いで氾濫し、広範囲で浸水しました。

日豊本線の竜ヶ水駅地区では、国道10号線と日豊本線に沿って延びる崖が4kmにわたって断続的に崩壊し、住民やJRの乗客など約3,000人が孤立したため、海上からの救助活動が行われました。この出来事はメディアで大きく報道されました。

この年に上陸した台風の数としては、当時とした最多の6個(現在は2番目、現在最多は2004年の10個)で、平年の倍でした。

また冷夏に見舞われ、農作物が不作の年でもありました。

【第9位】平成26年広島豪雨

2014年(平成26年)8月

死者・行方不明者77人 負傷者69人

住宅の全壊133棟 半壊122棟 一部破損174棟

ほぼ同じに接近した2つの台風と、停滞前線の影響から、広範囲で記録的な大雨になりました。

広島市では、次々と発生した積乱雲が、一列に並び集中的に雨が降り続く現象が発生し、土石流や崖崩れが多発しました。

この災害の死因のほとんどは、土砂災害によるものでした。

国土交通省の発表によると、土砂災害による人的被害としては過去30年間(当時)の日本で最多であり、1983年7月に島根県西部で87人が死亡・行方不明となった豪雨(昭和58年7月豪雨)による土砂災害以来、大きな人的被害となりました。

広島市に限ってみると、1999年の6.29豪雨災害における土砂災害被害を上回りました。近年まれに見る死者数の多さから、社会問題として大きく扱われました。

【コラム】伊勢湾台風 史上最悪の惨事

1959年(昭和34年)、台風第15号は、9月26日に和歌山県潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心にほぼ全国にわたって甚大な被害をもたらした台風です。

伊勢湾沿岸の愛知県・三重県での被害が顕著であったことからこの名称が付けられました。死者・行方不明者の数は5,098人、明治以降の日本における風水害の災害史上最悪の惨事となりました。

回 想

私(筆者)が、もちろん生まれる前の自然災害でしたが、小学校のとき、学校の先生から当時の悲惨な状況について、よく聞かされました。

すべては思い出せませんが、記憶に残っている内容を紹介します。

”台風が過ぎたあとは、街はめちゃくちゃで、ほとんどの建物が「がれき」になっていました。そして、歩けば死んだ方に遭遇するような状況でした。

いちばん大変だったのは、病気が流行らないように、すぐにご遺体を火葬することでした。

ご遺体を台車に載せるときはたいへんでした。人間の体がこんなに重いなんて初めて実感しました。また人間は死ぬと硬くなっていくことも、このときはじめて知りました。

火葬場では、順番待ちのご遺体がたくさんあり、無傷のご遺体はほとんどありませんでした。

それは悲惨でした。硬直してご遺体が動くこともありました。それが今でも記憶に強く焼き付いているのです。”

まとめ

自然災害の人的被害の内訳を、円グラフに示すと左図のようになります。このグラフは死亡・行方不明者数をもとに作成しています。

やはり、地震・津波の割合(89.2%)が大きいですね。次いで風水害(6.10%)、雪害(4.13%)となっています。

自然災害は、「あなた」と「あなたの家族」の身近で起こるかもしれません。普段から防災意識を高めていきたいですね。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。それでは。


参照 内閣府令和2年度版「防災白書」付属資料7 自然災害における死者・行方不明者行方不明者内訳

参照 被害状況は総務省消防庁消防白書(各年度)を参照した

 

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